本日は3月11日。5年前に東日本大震災が起こった日です。恐らく皆さん、その時何をしていたかよく覚えておられるのではないでしょうか。
5年前の3月11日、あなたはどこにいましたか?
僕は会社から薦められたビジネスセミナーに参加中でした。大阪梅田にある、30階建てビルの17階にいました。
プレゼンテーションだったか、コミュニケーションだったかのセミナーで、講師に質問を受けた参加者が、こう答えました。
「自信・・・ですか!?」
その答えを聞き「少々的外れな回答だな・・・」と思った瞬間、軽いめまいに襲われました。
あれ?めまいじゃないぞ。「やっぱ床、揺れてるよな?」
そうです、先ほどの参加者の答えは
「自信ですか!?」ではなく「地震ですか!?」だったのです!
※実際のエピソードです。多くの被害者が出た地震を、面白おかしく伝えようとしているものではない旨、ご理解ください。
最近の建物は、耐震設計で衝撃をいなすため、大きく揺れるように設計されています。ゆっくりと左右に振り子のように揺れたのをはっきりと記憶しています。参加者全員床に伏せました。恐怖でした。
随分長い時間揺れていたように思いましたが、実際は1~2分だったでしょうか。揺れが収まったので、セミナーを中止して、建物の外へ。エレベーターは止まったのか止めたのかわかりませんが、使用できず階段で17階から1階まで降りることになりました。
階段の所々、ヒビが入って粉が床に散らばっていました。それほどの衝撃だったのです。震源地がどこなのか、被害はどれほどなのか、全く情報が入ってこない状態でした。阪神淡路大震災を思い出しました。自分たちのいた場所が震度3ぐらいだったので、「周りもそのぐらいだろう」と思っていたら、近くの神戸があのような大惨事になっていたことが脳裏をよぎりました。
外に出てすぐ、会社と実家に電話を入れました。会社は「すごく揺れて外に避難はしたけど、被害はそれほどない」、実家は「すこし揺れた」という程度だったようです。
「そうか・・・高いビルだからすごく揺れたけど、地面レベルでは大したことなかったんだな・・・」と思ったのもつかの間、今度は東北が大変なことになっていたと知りました。
これだけ科学が進歩しても、我々は天変地異の前には無力です。阪神淡路大震災以来トラウマになったのか、少しの揺れでも恐怖を覚えるようになりました。
私が出会った人は、誰一人地震で死なせない
僕は地震のことを考えるとき、以前TV番組『情熱大陸』で初めて知った地震学者の『大木聖子さん』を思い出します。
その美貌もさることながら、地震に対し無力な我々に勇気を与えてくれる意思の強さがとても印象的なかたでした。
私が出会った人は、誰一人地震で死なせ ない
※上記は僕の記憶に基づく大木さんの発言です。
この言葉に、信念の強さと、頼もしさを感じました。
このかたなら、多くの日本人を地震の被害から救ってくれる!
そう思わせられるほどでした。
いつ来るかわからない、もしかしたら来ないかもしれない天災ですが、出来る限りの準備をすることで多くの命や資産を守れると思います。(大木さんも確か、そう言っていたと思います)。
僕もタンスをねじ止めしたり、防災グッズを購入したり、もしもの時に備えるようにしています。皆さんも面倒がらず、最低限の備えはしておきましょうね。
少し残念なのは、最近大木さんの活動や活躍があまり聞かれなくなったことでしょうか。(情熱大陸)放送の数日前に配置換えがあったとききましたが、それが原因でしょうか。それとも、ご結婚されたからでしょうか。サイトもツイッターも、たまにしか更新されていないようです。
僕が母の日に送ったプレゼント
『情熱大陸』で、大木さんが『常備していてほしい防災グッズ』として『笛』を挙げられていたのが印象に残っています。がれきに埋もれたり遠くの人に助けを求めたりする際、人間の声では届きにくく、すぐに力を失うからだそうです。
そのことを知り、僕は、数年前の母の日に、プレゼントとして下記の笛を送りました。人間の耳に聞こえやすい2種類の音を同時に発生させるのだそうです。この笛が活躍するような事態にはならないことを願っていますが、母はとりあえずこの笛を持ってくれているようです。
コクヨ 防災用救助笛 防災の達人 ツインウェーブ オレンジ DRK-WS1YR
次回予告:著名人たちが行った東北支援、寄付などについて紹介
有名人が東日本大震災の後、東北に行った支援や寄付を数点紹介させていただきます。有名人ではないですが、僕が行った支援の内容も紹介させてください。
※『岸見先生と語る会』の続きをお伝えする予定でしたが、本日3.11ということで、予定を変更して本記事を投稿させていただきました。