昨日は、当ブログが初めてネット上で紹介されるという、記念すべき1日でした。おとついのような「とりあえず投稿」は今後やめるようにしますw。
さて、先週のことになりますが、安保法制案、可決されましたね。このブログを始めるようになって、政治・社会に無知だった僕も、注視し、少しだけ勉強するようになりました。
政治に興味を持ち始めると、「右派、左派や、応援する党、応援する議員などが明確になってくるのだろうな」と漠然と考えていたのですが、実は今のところ、『どっち寄り』など、全くありません。
それどころか、以前興味がなかった頃と同じ『違和感』を感じています。
正確に言うと、以前から「興味がなかった」というより、「違和感があった」というほうが、正しいと思います。
その『違和感』とは・・・
※画像はイメージです。本投稿内容に直接関係はありません。
子供の頃から、「政治家や教育者など、先生と呼ばれる人達は立派な人達」と教えられてきました。そのトップが首相や国会議員なのだと思っていました。
「人に優しく、思いやりの心をもちましょう」「他人の悪口を言いのはやめましょう」。優れた人格と、人徳を持った人だけが、皆に愛され、幸せになれるのだと。その象徴が首相や国会議員はじめ、先生と呼ばれる人達なのだと。
ですが、TVやニュースで見かける議員や政治家達は、罵りあい、汚職に手を出し、自分の意見が通らないととっくみあいのケンカ。国会では居眠りしているような人達ばかり・・・。
ほとんど小学生の子供がやっていることと同じです。
そのような政治家の言動が大きな違和感となり、僕を、政治や選挙から遠ざけることとなっていました。
そして、長い年月を経て、年齢とともに政治や社会に興味を持ち始めた僕が見たものは・・・。
「いっしょやん!! 変わってないやん!!!」
子供の頃と変わらない政治家の姿でした。
SEALs奥田氏のスピーチ中に居眠りをする議員
喪服で牛歩する山本太郎議員
女性の品位を下げるような、法案可決妨害工作をする野党女性議員達
これといった対案を出せず、委員長席にダイブするしかなかった民主党議員
野党議員に暴言を吐く総理大臣
弁護士から華麗な転身を遂げた橋下徹氏もそうです。当選後しばらく、大阪ではヒーローでした。体制に臆さず、人目をはばからず涙したり・・・。今でもその主張に、正当性や妥当性はあるのかもしれません。しかし最近ことあるごとに、裁判で決着つけようとしたり、暴言を吐きまくったりしています。ちょっとしたチンピラ風です。
トップの安倍さんでさえそうです。会見の時などは、『国民の皆さん』を意識し、丁寧な言葉遣いで話されています。しかし、国会の席などでは、配慮もなく、後先も考えずヤジを言ったりします(しかも、野党に突っ込まれ、すぐお詫びする)。
なんやこれ?と再び失望させられました。
しかし、仮にも僕はヒーローを目指す人間の端くれです。嫌なことから目を背けているだけでは、ヒーローになどなれっこありません。
そこで、今更ながら少し調べてみることにしました。国を、世の中を、政治を、良くする方法はないのか・・・と。
すると何となくですが色々なことがわかりました。残念ながら現体制ではなかなか難しいことも多いようです。
『民主主義』とは言え、そこには様々な思惑や慣習や派閥や権力や圧力などが絡んでいて、少数の人格者や正義感にあふれた人だけでは、政治は変えられないのですね。
よほどのヒーローやカリスマが出ない限り・・・。(あ、「僕がなってやる!」というほどの勘違い野郎では今のところ無いです 😥 それでも、大それたヒーローなどではなても、何か変えられる、貢献出来ることがないかと模索はしています。)
それでは、子供の頃に教わったことは嘘だったのでしょうか。
いや、恐らく、それは嘘ではなく理想だったのかもしれません。大人達は、理想を子供に教えることで、理想を実現する大人に育ってほしいと願っていたのでしょう。
そして中には、その理想を信じて政治家になった人もいることでしょう。しかし、その理想や正義感さえもくじかれてしまうほど、国の、そして政治の世界は、恐ろしく強力な権力社会なのかもしれません。様々な野望や野心、ねたみやそねみ、権力や圧力などが魑魅魍魎のごとく蠢く闇社会なのかもしれません。
選挙制度に問題があるから?
財力や、知名度が無ければ選挙で当選しない制度そのものに問題があるのでしょうか。
政党から総理大臣を選ぶ形だから派閥のしがらみが生まれるのでしょうか。
アメリカのように、個人を投票で選ぶスタイルにすればよいのでしょうか。
毎度のことながら少々長くなってしまいました(文章をまとめる力がないもので・・・)。続きは明日とさせてください。